2012年04月08日

桜と日本人(再掲)

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昨日、4月7日は戦艦大和を旗艦とする大日本帝国海軍、第2艦隊が沖縄への上陸作戦を展開する米軍への水上特攻作戦を行い激しい戦闘の末、東シナ海に沈没し、4000名以上の方が亡くなられた日です。
亡くなられた英霊の御霊が安らかでありますようにご祈念申し上げます。

私も都合のつく限り、この日は広島県呉市の海軍墓地へお参りに行かせてもらうのですが、今年は仕事の都合がつかず、靖国神社へお参りに行かせてもらいました。

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桜の季節ということもあり、花見の人達で賑わっていました。

ということで、今日は過去の桜に関するエントリー記事を再掲したいと思います。

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今年も桜の季節になりました。
春を迎え、肌に感じる気温も暖かくなり、桜のみならず新しい生命の伊吹が一斉に顔を出す季節に心も和みます。

桜。その咲かす花の美しさを好きではないという日本人はあまりいないのではないかと思います。
私も普段、花や植物などにはあまり興味を示すほうではないのですが、子供の頃から桜の季節になるとその綺麗さに足を止め、街に咲く桜に見入っていたことを思い出します。

しかし、年を重ねるにつれ、様々な知識が身についてくると桜に対して漠然とした美しさを感じるだけではなくある種の儚さも感じるようになりました。
その一因は大東亜戦争でその若い命を国の為、家族の為に捧げた特攻隊の存在を知ったことが大きかったと思います。
十代、二十代という若さで国に命を捧げるという行為に深い尊敬の念を抱き、また特攻作戦という世界に類を見ない捨て身の行動が桜の咲く季節に多く行われ、出撃していった数多くの隊員が桜の枝を身につけて行った話や、水上特攻作戦となった戦艦大和の沖縄への出撃時も満開の桜に見送られていた等の話を聞き、その散りゆく姿を短命な桜に自然と重ねていたからでしょう。
また当時の方々もやはり、桜に己を投影させていたことは「同期の桜」などの歌からも感じられます。

桜は日本人にとって特別な花なのでしょう。


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【ある特攻隊員の遺書】 〜幼い娘にあてた手紙
 素子、素子は私の顔を見てよく笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたいときは、お前のお母さん、佳代叔母様に私の事をよくお聴きなさい。
 私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやりの深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。私は、お前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合わせになったのを見届けたいのですが、もしお前が私を見知らぬまま死んでしまっても、決して悲しんではなりません。
 お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様の顔がお前の心の中に浮かびますよ。父はお前は幸福者と思います。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会っているような気がするとよく申されていた。またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんもまた、ご自身の生涯をかけて只々素子の幸福のみを念じて生き抜いて下さるのです。
 必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護っております。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって私の事を考え始めたときに、この手紙を読んでもらいなさい。
 追伸、素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにしております。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教えてあげます。


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【ある特攻隊員の遺書】 〜妻にあてた手紙

 季代子、こう呼びかけるのも最後になりました。短かったけど優しい妻でした。有り難く御礼申し上げます。まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れたような気がして嬉しく思っていました。せっかく永遠の誓いを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、陛下の御盾として果てることは、私にとりましても光栄と存じます。 短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死にきれない苦しみが致しますが、すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂たいと思います。若い身空未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから、よき同伴者を求めて下さい。私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれましょうとも決して悲しみません。
 さようなら季代子、何一つ取り柄のない夫を持って、さぞ肩身の狭き思いでありましょう。至らない身、お詫びを致します。何日の日か幸福な妻にさしてあげたく思いながら、その機会もなく心残りでなりません。どうぞ御健やかに御暮らし下さいますよう、お祈り致しています。さようなら。


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【ある特攻隊員の遺書】 〜両親にあてた手紙

 お父さん、お母さん、お元気ですか。今日、私は特別攻撃隊員として出撃致します。
 ここ知覧は、昨年八月より十一月まで居った所だけに、一木一草懐かしく思われます。

 隊員を命ぜられてから今日に至るまで、無事任務を遂行できることのみを念じて居りました。今は、ひたすら神明の加護を念じております。酔生、夢生の人生、無為の人生といった人生の多い内に、敵艦必沈という大きな究極の目的を以って閉ずる私の人生は、神々に祝福されたものと思います。
 小さい時から両親、兄妹の溢れるばかりの愛情の内に育まれた私は本当に幸福でありました。私の希望、あるいは我儘をみなきき届けて下さった、私の人生は誰よりも幸福であり充実したものでした。それに引き換え、私が子として御両親に何ら報ゆる処なくして征くを非常に遺憾と致します。昨年の七月以降遂にお目にかかる機会はありませんでした。然しあの時、夏の清々しい夕べ、明るい燈の下で皆様と楽しくお話した時の事はいつも忘れませんでした。
 私が居なくなっても、みんな元気で、お父さんは外でお働きになる、お母さんは内の仕事をおやりになる、けさ江、ふき江、ともいは、すこやかに大きくなって幸福な家庭も持つようになる、そして皆が明るく、楽しく扶けあって、美しい生活を営む、私はそれを希い、それを祈っています。
 出撃前で時間がありません。私の心は、如何にしても、この大業を完遂する事と、みな様の御元気であることを願うことです。では、ご機嫌よう、さようなら。


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【ある戦艦大和乗組員の遺書】〜家族へ宛てた手紙

『昭和九年六月十日生まれて以来、朗子と共に暮らしたことは幾月。実に父として短い子に対する接触だった。然(しか)し朗子はお父さんに対する教へを良く聞いて呉れ、よく勉強して呉(く)れた。お父さんは何より嬉しかった。

お父さんは世が世ならどんなことをしても朗子の希望通り勉強さしてやり度(た)かった。だが戦局は朗子の知って居る通り。今更お父さんが申し聞かせる迄もない。

将来何をなすか朗子の所心に一任す。志操(しそう)先(ま)ず堅(かたか)らば、よろしく判断して世の中に立て。父の望む処(ところ)は真に多くの世の中の人のために生きよ。

(中略)朗子が、海仁会(かいじんかい)の前に送って呉れた事を、今も尚お父さんは有難く思って居る。其(そ)の事が見へる。あの姿を思ひ返して奮斗(ふんとう)する。

どうか 暑さ 寒さ 喰べ物 のみ物に気をつけて大きくなって呉れ。では、朗子の多幸を祈りつゝ』

【ある戦艦大和乗組員の遺書】〜家族へ宛てた手紙

『(前略)私の物は凡(すべ)て御処分(ごしょぶん)被下度侯(くだされたくそうろう) 皆様益々御元気にてひたすらどこ迄も生き抜き被下度侯(くだされたくそうろう) 其の事をのみ念じ上げ侯(そうろう)

斯(か)かる折にも父が晩酌の一献(いっこん)を傾くる後姿の稍淋しげなるが一瞬脳裏をよぎり申し候(そうろう)。(中略)

武士(もののふ)は 死ぬるものとは 思ふ身の 征(ゆ)く朝のみは 晴れよ濃霧(あつぎり)』
ーーーここまで引用ーーー


毎年、春の季節となり満開の桜の花を見るにつけ、この日本という国家と日本民族が存亡の危機に晒された時にその自らの命を捨てて日本を守ってくださった先人達の家族や妻、恋人に宛てた愛情が詰まった言霊を思い出し、改めて深い感謝の思いと日本人に生まれて良かったという思いが湧いてくるのです。


最後に結構、有名な動画らしいのでご存知の方も多いかもしれませんが、森山直太朗の「さくら」に合わせてこちらの動画もご覧になって見て下さい。

真実はどこに…】http://www.youtube.com/watch?v=imtmbp0w8cY



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posted by 豪 at 21:43| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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