2010年04月08日

昨日、広島県呉市の海軍墓地へお参りに行って来ました。

ご面倒お掛けします。まずは最初に忘れずクリックお願いします。

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昨日、4月7日は戦艦大和を旗艦とする帝国海軍、連合艦隊最後の艦隊、第二艦隊が坊の岬沖海戦にて米軍機動部隊と壮絶な戦闘の果てに最後を迎えた日です。

昭和20年、大東亜戦争末期、物資や燃料が乏しく米軍の進行を最早抑えることは難しく、沖縄への上陸作戦を展開する米軍への水上特攻作戦でした。連合艦隊の組織的な最後の海戦です。

この海戦を最後に連合艦隊は事実上の壊滅に等しい状況となります。

この戦闘で、大和だけでは3076名、第二艦隊全体で4000名近い方々が犠牲となられています。

私はこの海戦で亡くなられた方々の慰霊に少しでもなればと、ささやかな行為ではありますが昨日、広島県呉市の海軍墓地へお参りに行かせていただきました。


本日はそのご報告です。
呉市には朝の10時頃に到着。

まずは、最初に大和ミュージアムに行かせてもらいました。

駅からミュージアムまではコンコースで繋がっており約5分程の距離です。

コンコースの両脇には「戦艦大和の街、呉へきんさい!」と書かれた小さめの旗がコースに沿って掛けられており、大和の街へやって来たと実感します。


ミュージアムに着くと、入り口前の広場には、柱島泊地で謎の爆沈を遂げた戦艦陸奥の引き上げられた実物の主砲やスクリューなどが展示されています。
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入館するとすぐに大和広場、実物の10分の1、26.3メートルの戦艦大和が迎えてくれます。
10分の1スケールといってもその大きさは壮大です。

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当時の乗組員が大和は浮沈艦だ。と本気で信じていたのも頷ける壮大さです。

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順路に沿って中を見学していきます。

最初は軍港都市として栄えた呉の歴史から始まるのですが、すすんで行くにつれ、大和に関する展示になっていきます。


最初は大和の建造について。

大和の建造に関わった人物や現存する建造計画書の一部などが展示されいます。

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次は、現在の大和として東シナ海の340メートルの海底に沈んでいる大和を海底調査を行い発見した時の様子や引き上げられた遺品、構造物の一部などが展示されています。

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続いて、当時の大和の乗組員だった方々の写真が展示されています。

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乗組員の遺書や第二艦隊指令長官であった伊藤整一中将が実際に着用していた軍服などが展示されています。

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靖国の遊就館を彷彿させられますが、ここに展示されているのは生還した方々もあり、遊就館のように遺影ばかりではないようです。


また、その他には戦艦長門や日向などに実際、掲揚されていた軍艦旗などもありました。

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長門の軍艦旗

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日向の軍艦旗


そして、戦後産業都市として復興を遂げた呉の様子で1Fの展示コーナーは終わります。


展示室から出るとそのまま、今度は大型展示物の展示コーナーに入ります。

ここには、零式艦上戦闘機や特殊潜航艇、回天、各種砲弾などの実物が展示されています。

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この後、展示は2F、3Fと続いていくのですが、大和や海軍のこととは関係がなくなっていくので割愛させていただきますw

ミュージアムを出た私はその足で、歴史の見える丘公園へ。


ここは、海と山の両方に囲まれた呉市の山の中腹あたりにありミュージアムからは歩いて約20分程でつきます。

呉港が一望でき、現在は石川島播磨重工となっている呉海軍工廠の跡地も見渡すことが出来ます。
ここには当時、戦艦大和が実際に建造されたドックが残っており、ドックには大きく「大和のふるさと」と書かれていました。

当時、ここで実際に大和が造られていたのだな。と思うと非常に感慨深いものを感じました。

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この他にも何ヶ所か海軍に関する遺跡を回ったのですが、長くなりますので省略しますw

そして、今回の最大の目的地である呉海軍墓地へと向かいます。

ここには呉海軍工廠で建造されて戦没した艦艇の合葬碑が89基、個人碑が157基等、かなり大きな墓地となっており、戦前は海軍が、現在は呉市が管理しているそうです。

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大和が沈没したのは14時23分、その時間に合わせお参りさせて貰おうと到着すると何名かの方々がすでに大和の慰霊碑でお参りされていました。


私もまずは、用意してきた花束を慰霊碑にお捧げしてご挨拶をさせていただきました。

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日本と日本民族が存亡するかしないかという未曽有の危機に、その身をなげうって日本を守ってくださった先人達の勇気と行動に思いを致し、14時23分に

「亡くなられた方々のみ魂が安らかでありますように。また、皆さんの思いを少しでも受け継いで、この日本という国を守っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。」

と祈らせていただきました。

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その後、やはり同じように14時23分にかなり熱心にお参りをされていた男性の方に声を掛けられました。

その方は呉市内に住んでいらっしゃる舌崎さんと仰る方で父上が18歳で大和に乗艦し沖縄への水上特攻作戦に参加され、生還さた方だとお話を伺いました。

私のことを、「遺族の方にしては随分と年の若い方がお参りされているな。」
と不思議に思い声を掛けてこられたそうです。


その舌崎さんは、実際にお父様から聞いた、戦闘時や沈没の体験よりも戦後、お父様が自分だけが生き残ったことで随分と気を落とされ、元気な状態に戻るまでに大分、時間を要したことなど、お話下り、やはり実際の戦争の悲惨さは映像をみたり話を聞くだけではわからないものだ。と改めて実感しました。


そして、「父が大和の戦闘でどんな体験をしたかは辺見じゅんさんの書いた「男たちの大和」の中に書かれているので読んでみて下さい。今日は話を聞いてもらって有難う。また、機会があればどこかで会いましょう。」
と名刺をいただき、握手をして別れました。
(東京に帰ってから持っている男たちの大和を読み返してみると家族との最後のお別れの話、沈没して海を漂流した時の話が載っていました。)


また、舌崎さんのお話によると以前、4月7日にはもっと盛大に慰霊祭が行われていたようですが、遺族の方の高齢化により、大和会も解散し世話役だった生還者の方も数年前に亡くなられたそうで、現在は心ある方がお参りをされにくるのみの状態だそうです。


形式も重要ですが、あの激動の昭和という時代を生きた先人達が、どんな思いで我々、未来の日本人にこの日本を託してくれたのか?


その思いを少しでも理解し継承していくことが出来たら。とそんな気持ちになりながら東京への帰路へとつきました。

来年もまた来ます。


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posted by 豪 at 15:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍・戦艦大和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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