2011年04月07日

戦艦大和並びに第2艦隊の亡くなられた英霊を追悼し魂の平安なることをお祈り致します。(再掲)

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本日4月7日は64年前、天一号作戦(菊水作戦)において出撃した連合艦隊第2艦隊、戦艦大和と護衛の9隻の艦からなる水上特攻部隊と、アメリカ海軍の空母艦載機との戦闘による坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおきかいせん)にて戦艦大和が撃沈された日です。
戦死者は伊藤整一第二艦隊司令長官(戦死後大将) 有賀幸作艦長(同中将)以下2,740名、生存者269名または276名
『戦史叢書』「沖縄方面海軍作戦」による。
『大和ミュージアム常設展示図録』による。
ここにこの戦いにおいて亡くなられた英霊を追悼し安らかならんことを祈ります。

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【参加兵力】
日本海軍
日本軍では、作戦のために第2艦隊からなる第1遊撃部隊が編成され、水上特攻を担当する部隊となった。出撃した部隊は以下の編制であった。参加兵力は計4,329名。平均年齢は27歳であったという。
第1遊撃部隊
(司令長官:伊藤整一中将、参謀長:森下信衛少将)
第1戦隊
戦艦大和
(艦長:有賀幸作大佐、副長:能村次郎大佐、砲術長:黒田吉郎中佐)
:沈没。
被雷8本以上、直撃弾10発以上。戦死2,740、戦傷117名。
第2水雷戦隊(司令官:古村啓蔵少将)
軽巡洋艦矢矧(艦長:原為一大佐)
:沈没。被雷7本、直撃弾12発。戦死446、戦傷133名。
※矢矧に座乗していた第2水雷戦隊司令官古村啓蔵少将、矢矧艦長原為一大佐は、ともに生還。
第41駆逐隊(司令:吉田正義大佐)
冬月(艦長:山名寛雄中佐)
:帰還。
中破。直撃弾2発(不発)。戦死12、戦傷12名。涼月(艦長:平山敏夫中佐)
:帰還。
大破、艦首部に直撃弾を受け大破。後進で佐世保に帰還。戦死57、戦傷34名。
第17駆逐隊(司令:新谷喜一大佐)
磯風(艦長:前田実穂中佐)
:至近弾により機関室浸水。
航行不能になり処分。戦死20、戦傷54名。浜風(艦長:前川万衛中佐)
:沈没。
被雷1本、直撃弾1発。被弾で航行不能になった後、被雷し轟沈。戦死100、戦傷45名。
雪風(艦長:寺内正道中佐)
:帰還。
至近弾のみ。損傷無し。戦死3、戦傷15名。
第21駆逐隊(司令:小滝久雄大佐)朝霜(艦長:杉原与四郎中佐)
:機関故障を起こし艦隊より落伍、正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発信後連絡が途絶える。撃沈されたものと推定。
隊司令及び艦長以下326名全員戦死。
初霜(艦長:酒匂雅三少佐)
:帰還。
至近弾のみ。損傷無し。戦傷2名のみ。霞(艦長:松本正平少佐)
:直撃弾2発。
うち1発が機関室直撃、破壊。航行不能により処分。
戦死17、戦傷47名。
対潜掃討隊
(瀬戸内海離脱後、命令により反転帰還)
第31戦隊(司令官:鶴岡信道少将)
花月(艦長:東日出夫中佐)
榧(艦長:岩淵悟郎少佐)
槇(艦長:石塚栄少佐)
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アメリカ海軍
第58機動部隊
(司令官:マーク・ミッチャー中将)
空母9隻
(エンタープライズ ホーネット、ベニントン、ベローウッド、サンジャシント、エセックス、バンカーヒル、ハンコック、バターン、イントレピッド、ヨークタウン、ラングレイ)
戦艦6隻
(マサチューセッツ、インディアナ、ニュージャージー、サウスダコタ、ウィスコンシン、ミズーリ)
その他の支援艦艇
(大型巡洋艦アラスカ、グアムと多数の駆逐艦)
攻撃参加空母艦載機 386機
【時系列】
4月5日 13:59 第1遊撃部隊に出撃準備下令。
4月6日 15:20 第1遊撃部隊が徳山沖を出撃。
19:45 第1警戒航行序列(対潜序列)。
20:20 磯風が敵潜水艦らしきものを発見。
第二艦隊米潜に発見される。
4月7日 06:00 第3警戒航行序列(対空序列)を取る。
06:30 大和が唯一搭載していた零式水上偵察機を本土に帰還させる。
06:57 朝霜(第21駆逐隊司令座乗)が機関故障のため随伴不能となり艦隊より離脱。
06:30頃-10:00頃 第5航空艦隊所属の零戦部隊による艦隊上空直衛が交代で実施される。この間、奄美諸島近海に展開していたアメリカ海軍第58機動部隊から、作戦機約400機からなる攻撃隊が、第1次攻撃隊と第2次攻撃隊とに分かれて、相次いで出撃する。
10:00頃 第1遊撃部隊が米軍の飛行艇2機に発見される。その後、艦隊は、米高速空母機動部隊から攻撃隊に先駆けて出撃したF6F戦闘機、F4U戦闘機計10数機の接触を受けながら、偽装航路を中止し、沖縄に向けて南下する。
11:35頃 大和に搭載された対空電探が、約100キロの距離にいる米軍艦上機の大編隊の接近を探知する。
12:10   落伍した朝霜より「ワレ敵機ト交戦中」との無電が入る。12:15   大和以下の各艦が総員対空戦闘配置を完了する。
12:21   朝霜より「九十度方向ヨリ敵機三十数機ヲ探知ス」との無電連絡が入る。この後同艦は消息を絶った。
朝霜は、この直後に沈没したと推定される(単艦戦闘で生存者がいないため最期の戦闘の詳細は不明)。
12:30頃 敵攻撃隊の大編隊が雲間から降下し、第1遊撃部隊上空へ殺到し始める。第一次空襲始まる。
12:35頃 大和以下の各艦が対空戦闘開始。
12:47  浜風轟沈。この頃、大和後部に初弾命中。電探室および主計課壊滅。矢矧航行不能
13:00  第一次空襲終了。
13:22  敵機群第二波約50機来襲。
13:33  第二次空襲始まる。
大和左舷に魚雷3本命中。
大和の副舵が取舵のまま故障(後に舵中央で固定)。
13:56  磯風、航行不能
14:05  矢矧沈没。
14:20  大和、左舷に傾斜20度、総員最上甲板が命ぜられる。

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伊藤長官が長官室に向かう。
14:23 大和沈没(左舷側へ大傾斜、転覆ののち、前後主砲の弾火薬庫の誘爆による大爆発を起こして爆沈)。
14:23  伊藤中将戦死により第1遊撃部隊指揮権を先任指揮官の古村少将が承継。
14:25  アメリカ軍の攻撃が終了。
16:39  作戦中止が下命される。
16:57  霞沈没(砲雷撃により処分)。
17:42  初霜が第2水雷戦隊司令官を救助。
22:40 磯風を雪風の砲雷撃により処分。
4月8日 冬月、雪風、初霜及び涼月が佐世保軍港に帰投。
現在の大和は、北緯30度43分、東経128度04分長崎県男女群島女島南方176キロ 水深345mの地点に眠っている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参考

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「進歩のない者は決して勝たない。
負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩というものを軽んじすぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。
それ以外にどうして日本は救われるか。
今目覚めぜずしていつ救われるか。
俺たちはその先導になるのだ。
日本の新生にさきがけて散る。
まさに本望じゃないか。」

沖縄への出撃前夜、自分たちの出撃にどんな意味があるのか口論になった士官たちに臼淵巌大尉が言った言葉です。

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彼等は生還の見込みのない自分達の出撃に「きっと後に残った者達が日本の復興を担ってくれる」と希望を託して行ったのだと思います。

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日本が目覚めることを信じ、未来の日本人へ日本を託し散っていった先人達の思いに今、私達は応えているでしょうか?

しっかりと考えなおさなければならない時期に来ていると思います。

*本日の記事は2009年4月7日にエントリーしたものに加筆、修正をしたものを新たにエントリーさせていただきました。

こちらの記事も良ければあわせてお読み下さい。
広島県呉市の海軍墓地へお参りに行って来ました。

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posted by 豪 at 00:01| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍・戦艦大和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
祖父が第二艦隊司令部として大和へ座乗。
記事にございます通り、四月七日が命日です。
記録を認めてから三年が経ちました。
Posted by 酔漢です。 at 2011年10月18日 07:59
酔漢さん こんばんは!
コメント有難うございます。

お祖父様が大和に乗艦されて、あの沖縄への水上特攻で亡くなられていらっしゃるのですか…。

大和の水上特攻自体が、当時の戦況では既に、無謀な作戦だった。とこれはよく言われていることで、親族の方としては複雑な思いも抱かれているかと思いますが、私は日本人として、あの当時、大和に乗艦されて戦闘に参加された方々の思いは、しっかりと受け止めなければならないと感じています。

あの時、日本の未来の為に自分達の行動を信じて、散っていかれた方々のことを思うと感謝の気持ちで一杯です。

日本を守る為に、立ち上がってくださった、酔漢さんのお祖父様のような方々がいらっしゃるから、今の日本がある訳ですから。

実際に大和に乗艦された方の、親族の方からコメントいただけて嬉しかったです。

有難うございました。
Posted by 豪 at 2011年10月19日 00:32
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